『弓削佐島』を写真と紀行文で紹介 | 島プロジェクト

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ReportNo-21.png佐島
魅力的な路地と島風情が残る島
弓削・佐島Yuge-Sashima

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▲2011年開通の生名橋。生名島側から撮影
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▲穏やかな時間が流れる佐島港
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▲マイカーを押し、港へ散歩に来たお婆さん
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▲太い眉毛が印象的な仁王像
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▲魅力的な路地が多い本浦集落
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綺麗に手入れされた島四国のお地蔵様
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▲見ていて楽しいアート的な塀
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▲真っすぐのびる佐島八幡神社の参道
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▲想像より簡素な造りの佐島八幡神社・拝殿

瀬戸内海のほぼ中央、上島諸島に連なる佐島は、岩城島・弓削島・魚島・生名島の4島を核とした愛媛県上島町に属す。南北に細長く伸びた島で、近くの島々と比べると周囲9.8kmと小さいが、島のカタチと同様に歴史の長い島でもある。以前訪れたときは、弓削島に行ったついでに足早に巡り、集落の様子を車から眺めた程度だったが、その時に目にした趣のある端正な町並みと、沖浦の高台から眺めた燧灘の景観が印象的で、いつか時間をかけて巡りたいと心に残った島だった。

佐島にはいくつかの集落が点在しているが、基本的に、弓削島・生名島・因島へのアクセスがしやすい北部側に集中している。以前訪れた時に強く印象に残った集落で、今回巡ることにした本浦地区もやはり島の北側に位置し、島内で最も大きな集落となる。前回は因島の家老渡港から弓削島へと渡り、弓削大橋を通って佐島へと来たのだが、今回は因島の土生港から生名島へ渡り、そこから佐島へと向かう事に決めた。なぜなら以前はなかった生名橋が開通しているからだ。

1996年に弓削大橋が開通したことで弓削島と繋がり。次いで、2011年に生名橋が開通して生名島と繋がった。造りは弓削大橋とおなじく斜張橋。全長は弓削大橋が980mに対し、生名橋は515mと短い。ただ、棟のカタチが「 H 」型だからだろうか、「 A 」型に見える弓削大橋よりも大きく感じる。緑と青が織りなす瀬戸の美しい景観に薄いグレーがよく映え、まだ新しさが残る車道をゆっくりと佐島へ向かう。途中、初夏の陽気を浴びながら、生名橋を横切っていく船に幾度も目を奪われた。

佐島についたのが11時過ぎ。そのまま集落をまわるか迷ったが、佐島港に車を停め、早めの昼食をとることにした。港の一角に腰を下ろし、まずはゆったりと景観を楽しむ。正面には生名島の鉢巻山。右手にはさきほど通った生名橋。時おり、往来する漁船やボートを眺めながら用意した「むすび」をほおばる。その脇では縄田が生名橋をバックに、因島でみつけた「ひろしま藻塩レモン水」の写真を撮っている。暑さが応える時期だったが潮風が心地よく、すべてが「島に来た!」と感じさせてくれた。

昼食を終え、港にきたお婆さんと雑談しながら集落内部へと向かう。本浦は、保育所(元小学校)のある小高い山を境に2つに別れている。いまは海岸線沿いに道路が整備されているが、おそらく以前は山を越えて行き来していたのではないだろうか。まずは生名橋側の方から巡る事にする。佐島港の待合所から真っすぐ山に向かって歩き、最初の路地を左に折れた。島の路地にしては広く、車が余裕で通れる程。元々はここがメイン通りだったのだろう。路地の向こうに西方寺が見えた。

西方寺は弓削島の自性寺の末寺と言われ、 明治初期には研精小学校が開設されていたそうだ。元々は保育所近くの小高い山の上に鎮座していたようだが、 四百年前に起こった火事で焼失したため現在の場所に再建された。歴史が古く島全体が荘園だったことを考えると残念で仕方がないが、その時に資料も消失したそうだ。境内にはソテツが植えられ、港も見える。時おり通る船のエンジン音も聞こえ、まさに島の寺という印象。また、山門を守るユニークな仁王像も忘れられない。

寺を後にし、島を横断する広めの道を進むと、歳之神が祀られている交差点にでる。そこから細い路地へと入り、島四国のお地蔵さんに導かれるように、山向こうにあるもう一方の集落へと足を伸ばした。島の入り組んだ路地をよく「縫うように」と表現するが、ここは少し違う。荘園だったことが関係しているのか、真っすぐ伸びた広めの道がいくつかあり、その合間に細めの路地をとおして区画をつくっている。どの路地も魅力的だったが、佐島八幡神社へと続く見通しの良い参道は特に印象に残った。

鳥居をくぐり、小高い丘の上に鎮座する佐島八幡神社へと階段をのぼる。厳島神社の境内地だったここに元見山から八幡宮が移転され、いつしか中心に据えられるようになる。慶長4年(1599)に再建されたと云われる八幡宮は拝殿・本殿ともに思っていたよりも簡素な造り。向かって左側には厳島神社。右側に四坂神社と甕(みか)神社。八幡宮拝殿の天井にあるという、卯(東)酉(西)が逆になっている日本独特の逆針羅針盤なるモノをぜひ見てみたかったが、叶うことなく港へ戻ることになった。

佐島は、柑橘農家の多い農業主体の島。造船が盛んだった頃は近くの因島へ出稼ぎに行く人も多かったと聞く。春には蜜柑や浜大根、秋冬には野地菊の花が咲き。古墳や石棺も発見されている。また石清水八幡宮の荘園として栄え、優れた船大工も数多く輩出しているそうだ。古くから人の営みがある島だけに、小さくとも歴史の詰まった島でもある。古い文献が残っていないのは残念だが、島外者には魅力的にうつる島風情が、いまなお色濃く残っていた。

文・写真 中川智晴
参考資料/日本の島ガイド シマダス

-佐島DATA-
◎所在地/愛媛県越智郡上島町佐島
◎面積/2.67k㎡
◎周囲/9.8km

◎店/佐島ふれあい市場。日曜日定休。
◎公衆トイレ/佐島港待合所にあり
◎駐車場/あり
・佐島港に無料駐車 可
◎島内交通手段/あり
レンタサイクル( 詳細はコチラ )
※但し、弓削島でレンタル


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