※島プロジェクト > 弓削島を『写真』と『紀行文』でご紹介!!

Shima Project残したい島の記憶』
This is Island Photograph Gallery & Report.

かつて『塩の荘園』と言われた
歴史と自然が息づく島

しまなみ海道で因島に行き家老渡港からフェリーで上弓削港へと渡る。渡航時間約5分。島が大きいため、ひとまず一周し撮影ポイントを確認する事に。上弓削港をでて、沢津から久司浦方面を通り『大谷桜園』へ向かった。訪れた季節が季節だけに桜は一本も咲いていなかったが、見晴らしも良く、こぢんまりとした雰囲気の良い花見が楽しめそうな公園だった。そこから一路『久司山展望台』へと向かう。

久司山展望台へは途中から徒歩になり、約10分程度の行程だが急勾配で結構つらい。しばらく誰も通ってなかった様で、クモの巣が多かったのも印象的だった。展望台に到着すると360度のパノラマが広がり、眼下には弓削島はもちろん。瀬戸内海の島々が一望できた。この日はとても天気が良く、これまでに増して瀬戸内海が美しく見える。ここで30分程の撮影を楽しみ下山した。

弓削島に到着する前は、隣接する『佐島』に割く時間がないだろうと予想していたが、思ったより早く一周できたため『弓削大橋』を渡り、佐島へと足を伸ばした。
弓削大橋は、弓削島と佐島を結ぶ全長980mの斜張橋で、弓削・岩城・生名・魚島の上島4島を結ぶために造られた最初の橋でもある。島民の利便性を考えると致し方ない事ではあるが、こうして島々が橋で繋がれ車で往来できる様になるのは、なんだか侘しい気持ちを多少感じる。

弓削島は歴史の古い島で、島内からは旧石器時代後期のナイフ型石器などが発見されている。弓削島にも佐島にも古墳がのこる。また平安時代には、荘園としての形が成立されたとされ、鎌倉時代以降は京の東寺の荘園となり室町時代まで大量の塩を献上していた事から『塩の荘園』と呼ばれる様になった。そして、江戸時代以降は海の宿駅として栄えた。島の由来は、蘇我馬子に滅ぼされた物部守屋の系統である弓削氏の人々がこの島に移り住んだ事が由来とされている。

そんな弓削島と佐島を結ぶ、弓削大橋を渡り海岸線を佐島漁港を経て福羅湾へと抜けた。
佐島先端の沖浦で海を眺めながらの昼食を取った後は弓削島に戻る。二人は主に下弓削を徒歩で担当、各々の撮影へと分かれて行った。下弓削のメインの被写体は、弓削道鏡伝説が残る『弓削神社』。創建は定かではないらしいが、1311年に記録が残っている浜戸宮がその前進ではないかとされている。上弓削と海岸線を担当する私は、まず『高浜八幡神社』へ車を走らせた。

弓削ルポ1.JPG

弓削ルポ2.JPG

高浜八幡神社へ到着し鳥居の所まで行くと賑やかな声がする。覗いてみると、ちょうど中学生の写生大会中。境内のあちこちで学生達の和気あいあいとした声が聞こえてくる。ここでは鳥居だけをおさえて早々と退散し、沢津を少し散策して久司浦へと向かった。
しばらく車を走らせると海岸線に『大森神社』が見える。そこで車を降り、大森神社と久司浦の町並みを撮影して歩いた。
沢津・久司浦を撮影して思った事は、ともに歴史を感じる町並みだったという事だ。古く趣を感じる家が多く点在し、もっとゆっくりと町並みを撮影したいという気分になった。
時間が迫ってきたので、山間の道を通り反対側の海岸線へと向う。海岸線をしばらく走り、藤谷から新弓削港へと抜けて二人と合流。予定通り帰りのフェリー迄まだ時間があるので、夕景と夜景を撮影しに別々のポイントへ移動。そこで暫くの撮影を満喫し、弓削島を後にした。

文/中川智晴
参考資料/日本の島ガイド シマダス(財)、他

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所在地/愛媛県越智郡上島町
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