大久野島 〜地図から消された島
大久野島は毒ガス製造工場が建てられた1929年から45年の敗戦後まで、その役目により地図から消されていた島。朽ち果てつつも、当時の建造物(戦争遺跡)が数多く残っている。島内は一般車両の通行が規制されている為、対岸の忠海港にクルマを駐車しておいてフェリーで渡ることになる。機材をまとめクルマを離れる。目の前にある巨大な鉄塔の立つ島が大久野島。約15分で着く事ができる。
島東部の第二桟橋に着いた私たち三人は、桟橋とビジターセンター、休暇村大久野島をつなぐ無料送迎バスに乗り込んだ。主要施設の集中する島南部へは、あっという間で、センター近くではウサギを何羽か見かける。半野生化したアナウサギ(カイウサギ)が多く暮らしているのが、この島のもうひとつの顔。センターで資料を入手し簡単な打ち合わせをした後、それぞれが島内に散る。
周囲4.3kmのこの島に点在する戦争遺跡。それをつなぐように道が綺麗に整備されている。整備された道を外れた場所にある遺跡も看板と山道で迷うことはない。島を貫くように配置されている南部・中部・北部砲台跡は、レンガ作りの火薬庫跡も合わせ、日清戦争当時、瀬戸内海に作られた芸予要塞群の一部。中でも中部砲台は規模も大きく、もっとも状態が良かった。日清・日露戦争遺跡と太平洋戦争遺跡の併設が、この島の軍用地としての長い歴史を物語っている。

北部砲台跡から煙道口跡、点火試験場を眺め、長浦毒ガス貯蔵庫跡へ。島内で一番大きなこの貯蔵庫には100トンのタンクが6基置かれていたそうで、それを納める構えは大きく、戦後に毒性除去のために火炎放射器で焼かれた壁も相まって遺跡群の中でも異様な雰囲気を放っていた。貯蔵庫のある島西側の海岸を南下してゆけば、休暇村にたどり着く。現在テニスコートやグランドが並ぶこの辺りは長浦工場群として毒ガス製造工場、工室、倉庫があった場所。テニスコート裏には貯蔵庫跡が残っている。
休暇村前の広場にはウサギが多くいて、訪れた観光客に愛嬌を振りまいていた。そこから最南端にある大久野島灯台を経て海水浴場を抜け、大久野島神社を挟み殉職碑と慰霊碑が並ぶ砂浜へ。慰霊碑には、毒ガスに携わりそれを原因に亡くなった人々の名簿が納められてい、毎年10月には慰霊式が行われているそうである。目の前の第一桟橋は、毒ガス製造最盛期には陸軍大臣の許可証を持った5000人がこの島に通う為に使っていたという。
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