※島プロジェクト > 阿多田島を『写真』と『紀行文』でご紹介!!

Shima Project残したい島の記憶』
This is Island Photograph Gallery & Report.

阿多田島 
瀬戸内海有数の魚場を利用した
養殖と釣りのメッカ〜

広島市を朝8時に出発し、大竹市小方港に到着したのが9時頃。途中、早朝の光を浴びて悠然と佇む弥山(厳島)を左に眺めながら、宮島街道を通って小方港へと車を走らせた。港内には無料の駐車場が完備されていて、私たちもこの駐車場を利用してフェリーに乗船した。
小方港から阿多田島まで約35分。初めて目にする厳島の裏側を、やはり左に眺めながら阿多田島へと船は進む。よく目にする鳥居側の表情とは違い、厳島の裏側を洋上から眺めるのはとても新鮮。個人的には今回の隠れた楽しみの一つでもあった。また、乗船の際とても印象的だったのは「ご乗船ありがとうございます」と笑顔で挨拶された事。それがとても心地よく、3年前に新しくなったフェリーと相まって、いままでで一番快適な船旅となった。

阿多田島は周辺海域が、瀬戸内海でも有数の魚場として知られており、毎年多くの釣り客が来島する。昔はイワシの底曵網漁が盛んだったらしいが、近年ではハマチ・タイ・牡蠣などの養殖が盛んで、1978年には明仁親王と美智子様(現、今上天皇・皇后)も視察に行幸されている。

フェリーを降りてすぐ目についたのは、5羽のサギ達が漁師さんから投げられるエサを待っている姿。漁師さんから放たれたエサを掴む、そのサギ達の勇姿をしばらく撮影した後で、各々のルートへと別れていった。
一人はまず『猪子島』へ。猪子島は、周囲約1.6kmの小さな島で、海産物の加工工場がいくつか置かれている。この島の特徴と言えば、阿多田島と防波堤で結ばれている事。防波堤といっても、ちゃんとアスファルトで舗装されており、どちらかと言えば『橋』のイメージが近い。
もう一人は島の周回道路を一周しに『阿多田小学校』から『長浦海水浴場』へと行き、そこから『田ノ浦』の海岸線を通って『海の家あたた』『灯台資料館』へと向かった。この周回道路には桜が植樹されていて、時期が合えば安芸灘の絶景とともに満開の桜が楽しめる。灯台資料館は、国登録有形文化財で明治36年建築の旧安芸白石航路標識事務所を平成8年から灯台資料館として開放している。

私はと言うと、唯一の集落『本浦地区』に残った。まず向かったのは『阿多田神社』。写真の石灯籠は文化年間(1804〜1818)に作られたそうで、当時は阿多田漁港の灯台として使われていたらしい。その石灯籠のすぐそばには日露戦争の出征記念碑もある。
この神社前の広場でであった5人の小学生。とても活発で明るく、仲の良い兄弟の様に感じた。他の島でも子供達と話す機会はあったが、どの島の子達よりも好奇心旺盛で終止笑顔だった事が、この島の風土と気質を物語っている様に思える。

阿多田島ルポ 01.JPG

阿多田島ルポ 02.JPG

次に向かったのは『観音山』。途中であったご老人に、この山頂に祀られている観音像についての逸話をお聞きした。
観音像の逸話とは、寛永(1624〜1643)の頃、玖波村の与右衛門という人が、肥州(長崎県)平戸の沖合で網にかかった観音像を持ち帰ったところ、夢枕で平戸の見える所に祀って欲しいと告げられたので、この観音山に祀ったというもの。
そんな観音像が祀られいる山頂への登山道は綺麗に手入れされており、途中途中に見える瀬戸の景観が歩みを軽くしてくれた。山頂に着くと、観音堂とともにひと際目につく大きな岩がある。そこに立つと、周囲を木々に覆われて見えにくかった安芸灘の絶景が一望できた。多少の春霞はあったものの、この日は天気も良く、大黒神島や江田島、能美や倉橋まで望む事ができた。

夕方にかかる頃には3人とも本浦地区で思い思いの被写体を探していた。家や庭は端整に手入れされており、すれ違う島民の方は笑顔で接してくれる。帰りのフェリーで一緒になった青年団の方も「休みの日は、ほとんど島の催し物に従事している」と笑みを浮かべながら話してくれた。
底曵網漁から養殖への移行。最近では『海上釣り堀(2010.5月 オープン)』という新しい観光資源への挑戦。こうした島民の繋がりやチャレンジ精神が島を活性化させ、島民の笑顔を育んでいるのだと感じた。

文/中川智晴
参考資料/日本の島ガイド シマダス(財)、他

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所在地/広島県大竹市阿多田
交通情報や観光情報などは『大竹市観光課』へお問い合わせください。