『柱島』を写真と紀行文で紹介 | 島プロジェクト

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ReportNo-22.png柱島
多島海に浮かぶ柱島群島中心の
柱島Hashira-jima

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▲4代目『すいせい』は旅客定員70名。
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▲赤禰武人生誕の地。
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▲港まで見渡せる善立寺門前からの眺望。
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▲瓦を針金で繋ぎ、強風対策が施されている。
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▲小さな島には珍しい田圃。
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満潮時だけ渡れない新宮鼻。
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出番を待つ神輿。島を思うと担ぎ手が心配。
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▲北部の港を過ぎれば、人家もまばら。
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▲古い波止には、大小様々なもやい柱が。

柱島へは岩国港から高速船『すいせい』で黒島、端島経由で、片道1,780円約1時間の船旅となる。始発の船内は乗客でほぼいっぱい。予想外の混み様に驚きつつ、どうにか席を確保する。隣り合わせた方は釣り人で、よく柱島へゆくという。あの島、この島と船窓を左右に流れてゆく島名を教えていただきながら、船内でのひとときを過ごす。『すいせい』には、デッキの壁にGPSモニターが乗船客に見えるよう別に付いていて、島との位置が常に確認できるのが面白かった。

島に着いてまず驚くのが民宿の多さ。港から右手に海沿いの道を進む。山腹に見える校舎を目指して坂を上り始めると、小さな田にはで干しを見かけた。赤禰武人の生誕の地の石碑がある。赤禰武人は幕末の長州で生まれた奇兵隊の第三代総督を務めた。長州藩に裏切り者として処刑されるという悲運の志士として有名だが、再評価されるべき人物だと思う。右に左にと細い道を折れ、坂を上る。実をつけた柿の木、飛び交うジョウビタキ。島で味わう初秋の空気感が心地良い。

柱島小中学校は、2011年3月に中学校卒業生を一人送り出し休校となった。校舎の奥に忽那水軍柱島城跡、金蔵山山頂へ通じる登山道の入り口があった。集落へ下りながら寺と思われる屋根を見つけ、それを目指すことにする。辿り着いたのは善立寺。庭仕事中だった善本住職に出会い、いろいろと島の話を伺った。「今日は珍しいくらい海が凪いどるよ」聞く所によれば2日前は強風で欠航したそうだ。撮影に選んだ日の幸運と、周囲に遮る物の無い島に対する自然の影響の強さを思う。

平成3年(1991年)9月27日に広島県を襲った台風19号は、広島市で広島地方気象台観測史上1位という最大瞬間風速58.9m/sを記録。強風と高潮は沿岸部と島嶼部に甚大な被害を及ぼした。柱島では、集落の中段から上の屋根瓦がことごとく吹き飛ばされ、瓦の供給が間に合わないというほどの事態だったそうだ。家屋の脇に積まれた瓦を何カ所も見かけたのは、この為かと合点がいく。旧診療所を利用した民俗資料館も、この台風で資料ごと吹き飛んでしまったことが残念でならない。

昔柱島のある商家では、酒を作っていたそうだ。それはつまり島内で米が穫れ、水が豊富であるということ。道すがら田圃一枚に一つずつと言って良いほど井戸があるという珍しい風景を見かけたが、聞くところによれば、金蔵山に降った雨が井戸水となって島民を潤しているという。すっかり話し込んでしまい先の予定が心配になる。「そろそろ」と言いかけるや「これからどっち? 送っていこう。」お言葉に甘え、目的地である浦庄の浜まで、住職さんに車で送っていただいた。

浦庄の浜にある『戦艦陸奥英霊之墓』は爆発事故の犠牲者の墓所だが、遺骨は分骨され遺族に引き取られたそうだ。墓碑を背にすると、砂嘴がのびる先に続島があり、連合艦隊が碇泊し柱島泊地と呼ばれた海域が目の前に広がる。左に振り返れば、海水浴場として賑わっていた頃、岩国港からの直通便が発着していたという桟橋の跡があり、砂州で繋がる新宮鼻は、かつて真珠の養殖が行われていたそうだ。透明度の高い綺麗な海を眺めながらの昼食。立ち去り難い美しい風景だった。

八幡宮、賀茂神社まで畑の中の道を歩いて戻る。賀茂神社は島の産土の神。今夜が前夜祭、翌日が例祭ということもあり、準備で賑わっていた。幟がはためく参道を抜け、石段を上がってゆくと、風対策のためなのか斜面を背に建つ社殿に着く。左側には、祠と更に小さな祠を並べて納めた殿舎がある。合わせて88柱もの神々が祀られていることが、柱島という名の由来になったとも言われている。人気の去った境内は静か。立派な社殿の中に鎮座した神輿が神々しく見えた。

自治会長さんの案内で西栄寺にある赤禰武人の墓を見る。自然石を利用した異形の墓石が目を惹いた。1677年創建と伝えられる西栄寺。西が栄えると書く寺だが、真宗大谷派のお東さんと呼ばれる東本願寺系というのが失礼だが面白い。ちなみに先に寄った善立寺は西本願寺系。西栄寺から集落の中腹を北へ抜ける。細く複雑な道が迷路のようだが、これが島歩きの楽しさ。海辺へ出、島北部の松田港へ向う。人家が途切れると小高い所に祠がひとつ。手を合わせて柱島港に戻る。

港の南端へ向うと、古い波止が見える。不可解な位置にあるそれは石造りで、歴史を知りたくなるが手立てが無い。待合所まで戻り最終便16:15の切符を買う。切符を売る88歳のお婆さんに釣り客が、母親に話すように釣果を報告していた。なごやかな会話のはずむ待合所は、時間がゆったりと流れているようで居心地が良かった。私はここが大好きだ。というのが伝わるお婆さんとの会話。「良かったんならまた来て下さいね、航路継続の為にも」別れ際の忘れられない一言だった。

文・写真/ナワタミツル
参考資料/日本の島ガイド シマダス

-柱島DATA-
◎所在地/山口県岩国市
◎面積/3.12k㎡

◎宿泊施設/あり
◎お食事処/なし
◎トイレ/あり
◎駐車場/なし
※岩国港に無料駐車場あり
◎島内交通手段/なし
◎備考/港前に商店あり
※食物は乗船前に用意しておくのが無難


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● 観光情報に関してはコチラをチェック → 山口県・中山間地域づくり推進室『柱島紹介』ページ
● アクセスに関する情報はコチラでチェック 岩国柱島海運株式会社

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